苦い文学

開眼(箱根の旅7)

見ると、小柄な老人が群衆の中をずかずかと歩いてくるのだった。その手には鎖が握られ、その鎖は後ろを歩く大男の首に巻きつけられていた。大男は獣のように喉を鳴らし、雄叫びを上げた。両目の上には黒い目隠しがあった。

老人は黒いパナマハットの鍔を人差し指でピンと上げると、私たち観光客を見回して、もう一度繰り返した。その口は奇妙に歪んでいた。

「見よ! 見よ! 新しい日本人を!」

そして、その老人は小さな体を震わせながら、演説を始めたのだった。

「日本人よ! いつまでこんな山を崇拝しているのだ! 一目見ようとつま先立ちになったり、自撮り棒とやらをありったけ伸ばして、その呆けたツラと富士をパシャリと収めたり、もういいかげんしろ! そんなだから我々は負け続けなのだ! 外国人にすきなように荒らされ、観光公害を耐え忍ばねばならんのだ! 我々は富士山にひれ伏してはならない! そんな日本人はもういらない。新しい日本人が必要なのだ! 富士山を見ても動じない、いやそれどころか、富士山と互角に渡り合える、そんな日本人こそ必要なのだ!」

老人は手に持った鎖をぐいと引っ張った。大男がキイイと呻いた。

「だが、今日、ついにそんな日本人が誕生した! みなさんにお目にかけよう! 我々は歴史の目撃者となるのだ!」

老人はさらに鎖を引き、男の顔を自分の近くまで寄せると、目隠しを解いた。あらわれ出た醜悪な顔に、悲鳴が上がる。

「さあ、ゆけ! 新しい日本人よ!」

「キイイ! キイイイ!」 大男は瞼を上げ、充血した眼球をあらわにした。その瞳から狂気が溢れでていた。