苦い文学

大涌谷の黒たまご(箱根の旅1)

先日箱根に行ってきたので、そのときのことを何回かに分けて書こうと思う。

箱根に着いてまず行ったのは、大涌谷。ロープウェイで行くと、大涌谷の噴煙地の全貌を見下ろすことができる。剥き出しになった地肌のあちこちから火山ガスが噴き出ていて、まさに地獄のようだ。噴出孔の周囲は硫黄で黄色く、その臭気は上空のゴンドラの中にも届くほどだった。

「火山ガスの充満するこの谷では人は生きられまい」と見ていると、噴煙の中を人影が動き回っている。小さくてよく見えないが、裸の黄色い男だった。男は私たちのゴンドラを認めると威嚇するかのように手を挙げた。

大涌谷駅に着くと、私はさっそく土産物屋に行き、黒たまごを買った。これは大涌谷の名物で、地熱と火山ガスによって殻が黒く茹であがった卵だ。ひとつ食べると寿命が7年伸びると言われている。もっとも味は普通のゆで卵だ。

店の前で食べていると、強烈な硫黄の匂いが漂い始めた。観光客たちがざわめく。みれば、丸裸の黄色い男がこっちにのしのしと近づいてくるのだった。ロープウェイから見たあの男だ。目はランランと輝き、口からは鋭い牙が突き出ていた。

男は黒たまご売りのカウンターに向かうと、「黒たまごをくれ!」とうなった。「ゆで卵じゃないぞ! 黒生たまごだ。もうゆで卵はたくさんだ。俺はひとつ食べると寿命が7年縮む黒生たまごが食べたいのだ」

「これしかありません」と店の人が黒たまごを出すと、黄色い男は「これではまた寿命が延びてしまうではないか。もう何百年も生きるのは疲れたわい」と殻ごとバリバリ食べながら、ふたたび谷のほうへ立ち去って行った。

黒たまごの宣伝キャンペーンだった。