苦い文学

オリジナル・バージョン

私は長いあいだ、ある曲を探している。いや、その曲のカバーはこの世界に溢れているのだ。まるでビートルズの「サムシング」やキンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」のように誰もが歌いたくなる曲なのだ。

だが、私はカバーでは満足できない。オリジナルの歌声、オリジナルの演奏に出会いたい、そんな思いに取り憑かれてしまったのだ。

オリジナルといっても、リミックスとかリマスターは勘弁してほしい。違うのだ。ついこないだなど、やけにすてきに活動的な人がいるので、「もしやオリジナルか?」と思って近づいてみるとただの「ディスコ・ミックス」だった。

まあ、そんなことはザラにある。「あの人かも」と期待したら、まさかのダブ・ミックス。どうりでメロディが聞き取れないはず。こないだなんて、ずいぶんキビキビと若々しい人がいるので、「これぞオリジナル」と駆け寄ったら、なんと最近流行りのスペッドアップだった。

それにフィーチャリング野郎ども。もういくど騙されたことか。その度に「お前がフィーチャリングされたやつじゃなくてオリジナルちょうだい!」と私は叫ぶのだ。

人探しが専門の探偵に頼んだことだってある。「これこれこういうオリジナルを探してくれないか」と伝えるのだが、どういうわけか、私のところに連れてくるのは、デモバージョン、アウトテイク、インスト・バージョン、およそオリジナルとは呼べないボンクラばかり(まったくこういう手合いは、倉庫ででも眠っていてほしいものだ!)。丁重にお引き取りを願ったものの、探偵の無能ぶりに内心でははらわたが煮えくりかえるようだった。

いったいどうしたら、オリジナル・バージョンに出会えるのだろうか。これだけ探していないとは、もはやこの世界にいないのだろうか? 私はだんだんと、自分の人生はオリジナルを探すだけで終わってしまうのでは、と思いはじめている。