苦い文学

合体ポルノ

「かわいそうだから、助けてあげなくちゃ」という動機にもとづく支援活動は、いっけん正当なように思えるが、かならずしもそうとはいえない。

というのも、「かわいそうだから」というのはあくまでも支援者側の意見であり、そうした動機で行われる支援活動に、支援を受ける人の言い分や尊厳が介入する余地はないからだ。

ようするに自己満足の支援というわけで、相手をモノとして扱い、それで心理的な快楽を得るという点から「感動ポルノ」とも言われている。

ネットには、支援活動への参加を促す広告も数多く流れているが、その多くが見る人に「かわいそう」という感情を喚起することに注力している。たとえば、こんな広告がある。

・家庭が貧困であるために満足にご飯を食べられない子ども
・同じく家庭が貧困であるため1日1食しか食べられず、空腹のままの高校生
・過酷な環境で労働する異国の子どもたち
・人身売買の被害者たち

これらはいずれも「お涙頂戴」の感動ポルノだ。

もちろん支援が必要な子どもたちはたくさんいる。そして、適切な支援がただちになされるべきだ。だが、そのことと、広告主たちが、イメージを巧みに用いた感動ポルノを通じて、私たちの感情を操作しようとしていることとは別問題だ。

いや、それどころではないのだ。これらの広告にいかに多くの少女たちの画像が使われていることか。まるで貧困家庭には男の子などいないかのようだ。

まさか、感動ポルノと普通のポルノがついに合体してしまったのでは……