苦い文学

働く車たち

私は空港で飛行機に乗る機会があるたびに人生というものを学んでいく。なぜならそこにはおかしな形をした車で溢れているからだ。

頭でっかちで胴体のない車に、ヒラメのように平たい車。短いハシゴを背負った車に、電話ボックスの生き残りのような小さな車。空港以外のどの場所でも見ることのできない車たち。

思うにこれらは、普通の道では一瞬たりとも生きてはいけない車たちなのだ。

その生い立ちはきっと悲しいものにちがいない。なにか非人道的な実験のために無茶な改造を施され、その挙げ句に捨てられたのだ。あるいは、狂気の自動車工学博士がフランケンシュタインみたいに製作したものかもしれない。

これらの車たちが舐めた辛酸と差別を思うと私は苦しくなる。

だが、ここ空港では別なのだ。その普通とは違った形が実に役に立っているのだ。平たい車は航空機の部品を運ぶのにうってつけだし、階段を移植された車はなんとタラップ代わりになることがわかった。

どの車も楽しげに走り回り、立派に働いている。自信と尊厳に満ちたこれらの車を見ていると、私は思う。

「どんな姿形であろうと引け目を感じることなどない。絶対に役に立つ場所、必要とされる場所があるのだから」と。

悩み多き人生を歩む私は励まされたように感じ、心も軽やかに空へと飛び立つ。