その歌手が現れて、その歌を歌ったとき、私たちはあらゆる感情を掻き立てられた。ある者は踊り、ある者はしんみりし、ある者は元気をもらったと証言した。
私たちはその歌手に夢中になり、その人が歌うのを見るために、どんな苦労も厭わなかった。どんな距離も短く感じられたし、どんな行列もちっとも疲れなかった。
私たちの熱狂が頂点に達したとき、週刊誌がとんだスクープを報じた。その歌手が麻薬に溺れているというのだ。この報道を受けて、音楽産業は直ちに歌手の歌った歌すべての販売と配信を停止した。
あの人の歌が聞けなくなると聞いて、私たちは猛然と抗議した。「確かに罪を犯したかもしれない。だが、作品に罪はない!」
私たちはあらゆることを試みた。署名、抗議デモ、記者会見……。だが、音楽産業は決して動かなかった。
しばらくすると、新たな報道が出た。その歌手は麻薬など使用していなかったというのだ。でっち上げの告発だった! 音楽業界は直ちに動き、すべてを元通りに解禁した。私たちは歓喜し、小躍りしながら音楽に飛びついた。
その歌手は復帰するやいなや、自分を苦しめた不正について歌いはじめた。そればかりでなく、その不正を許した政府を厳しく批判する歌を何曲も書いた。その舌鋒の鋭さたるや、私たちは耳を塞ぎたくなるくらいだった。
いま、私たちはその歌手の歌を発禁にするよう政府に働きかけているところだ。やりすぎだという人もいる。だが、私たちの国の敵が作った作品に罪がないなどとどうしていえようか?