苦い文学

駅長たちの興亡

大きな駅における駅長の交代は、まるで世界史に出てくる王朝の交代ほどのインパクトがある。

駅長が死ぬと、それまで駅長に忠誠を誓っていた駅員たちはあっという間に逃走する。なぜなら、かねてから駅長の座を狙っていた隣の小さな駅の駅長が駅員を率いて攻め込んでくること確実だからだ。

そんなわけで、隣駅の駅長に率いられた駅員たちが、大きな駅に乗り込んだときには、駅はとっくにもぬけのからだ。駅員たちは無人の駅を駆け回り、思うぞんぶん破壊と略奪を行う。ときには放火することもある。

その間、隣駅の駅長は駅長室を占拠し、周囲の駅の駅長に、自分が新たな駅長に就任したことを宣言するのだ。

新たな駅長が最初に行うことは、前の駅長の業績を否定することだ。そうやって自分が駅長となったことの正統性を公に主張するのだ。具体的にどうするかというと、前の駅長が行った駅の改修、改築、増築による箇所をすべて破壊する。その上で、新駅長は自分の権威にふさわしい駅づくりに取りかかる。

新しいベンチを設置し、コンビニの位置を変え、新たなショッピングゾーンを作り、ゴミ箱をすべて廃止し……駅は駅長にとってピラミッドであり古墳だ。自らの治世を誇る記念碑なのだ。

だが、その駅長もいつか別の駅長に取って代わられるときが来る。駅は再び灰燼に帰し、新しく駅長になった者による改築・増築が急ピッチで進められる。そしてその駅長もまたいつの日か滅ぶ……。

もしもあなたが、大きな駅ではどうしていつも何かしら工事が行われているのだろうかという疑問を抱いたとしたら、このような事情に思いを馳せてほしい。私たち乗客は駅長たちの興亡が続くかぎり永遠に、その工事を、仮囲いを、不便を耐え忍ばねばならないのだ。