朝食後、私たちは牧師と別れ、迎えの人の車で、その人の家に行った。そこで、別の迎えを待つのだ。
家の持ち主は、カレン民族の政治団体の人で、事務方の責任者だ。お子さんが2人いて、タイの小学校の支度の最中だった。
その家には別のカレン人がいた。カナダからやってきて、しばらく国境に滞在しているのだという。私もカナダにカレン人の友人がいるので、それをきっかけにいろいろ話を聞いた。
彼はエーヤーワディ・デルタの出身で現在50代だ。私とほぼ同じ世代だ。学校のないような貧しい村を出て、カレン人の反政府組織に入ったのが11歳。そこで10年ほど生活し、1990年代半ばに組織を離れ、インドネシアに働きに出た。後にマレーシアに移った。
これらムスリムの多い国では、たくさんのビルマ出身の人々が働いている。カレン人もそのひとつで、私は1999年にクアラルンプールのカレン人の教会関係者の家に泊めてもらったこともある。
彼がどのような仕事していたか分からないが、私が別の人から聞いた話だと、カレン人のキリスト教徒は、現地のムスリムがしたがらない仕事についていることもよくある。豚肉を扱う仕事がその代表的なもので、中華料理関係の仕事はもちろん、養豚場というケースもある。後者の労働環境は非常に劣悪だという話を聞いた(ただし20年前の話だ)。
そしてこれらのビルマ出身の労働者は、正規の就労資格がない場合が多い。いま話している彼もそうで、そうした不安定な状況のせいもあって、2005年、マレーシアでカレン人団体を作り、いろいろな活動を始めたそうだ。そして、その活動を通じて、難民としてカナダに移る機会を得たのだという。
私は詳しくは知らないが、マレーシアには国連難民高等弁務官事務所の窓口があると聞いたことがあるから、その関係かもしれない。
そこで私はカナダのどこにいるのかと尋ねた。私の友人がいるのはアルバータだ。トロント、バンクーバーにもたくさんいると聞いたことがある。
彼は答えた。「ケベック」
フランス語圏だ! 忘れかけていたフランス語が思わず私の口から飛び出てこようとしたが、忘れすぎていたせいかぶつぶつ言いながら引き返していった。