苦い文学

名曲考察「傘がない」

今日、取り上げるのは「傘がない」。言わずと知れた井上陽水さんの名曲です。では、この曲がどうして名曲と言われるのでしょうか。

初めにバックグラウンドを少々お話ししますと、この曲は井上陽水さんの2枚目のシングルで、1972年7月にリリースされました。「政治問題など関係ない。自分にとっては、雨のなか傘がなくて恋人に会いにいけないというのが問題なのだ」という内容が話題になりました。そんなことから、学生運動が盛んであったいわゆる「政治の季節」以後の、新しい若者像を描いた名曲だと評価されています。

ですが、私はそうした見解にちょっと異議あり、なんですね。まずは歌詞をご覧ください。

  都会では自殺する若者が増えている
  今朝来た新聞の片隅に書いていた
  だけども問題は今日の雨 傘がない

たしかに「自殺の問題よりも傘のほうが大事」と読めます。ですが、これは詩です、歌です。文として読んではいけないのです。全体的にイメージとして捉えるということが重要になってきます。では、どんなイメージが浮かび上がってくるでしょうか。

そうです。「傘がないと自殺する」というイメージです。

では、サビの部分を見てみましょう。これは次のようなものです。

  行かなくちゃ 君に逢いに行かなくちゃ
  君の町に行かなくちゃ 雨にぬれ
  冷たい雨が 今日は心に浸みる
  君のこと以外は 考えられなくなる
  それはいい事だろ?

この部分は従来「恋人(君)に逢いたいのに傘がなくて困っている」と解釈されてきましたが、どうでしょうか。わたしはずばり「君」とは「傘」のことだと思います。

「傘がない」という人が真っ先にすることはなんでしょうか? 傘を探すことに決まっています。それを「君に逢いに行かなくちゃ」と擬人化し、「もう傘のこと以外考えられなくなっている、それはいい事だろ?」と歌っているのです。

なぜ「いい事」なのでしょうか? 雨が降っているからでしょうか?

いいえ、傘は私たちの魂だからです。歌の冒頭で、傘のないことが自殺に関連づけられていたのは、これを詩的に暗示するためだったのです。「傘がない」が名曲なのは、魂を見失いがちな現代人の傘を見事に描ききったからなのです。

「傘がない」における傘の不在という問題は、のちにもうひとつの名曲「夢の中へ」での「探し求められる傘」として発展的に取り扱われることとなります。ですが、これについてはまた稿を改めて、論じさせていただきたいと思います。