苦い文学

終わりの始まり

ニュースで誰かが預言者よろしく「これは終わりの始まりといえるでしょう」と語ったとき、私たちはその空虚な響きに驚愕した。

「終わりの始まりだと!」

私たちはどんなに頑張っても、この「終わりの始まり」を否定もできなければ、偽だと暴くこともできなかった。

「終わりの始まり」……終わったと言いきっているわけでもない。と同時に、なにか別のことが始まったとも主張しているわけでもない……いや、それどころか、なにひとつ言っていないのだ!

なぜなら、どんなことだって始まったからにはいつか終わるのだから。つまり、なにかの始まりとは、すでにしてなにかの終わりの始まりなのだ。そして、なにかが存続するかぎり、終わりの始まり状態が続く……。ああ、「終わりの始まり」とは終わらないということだ!

なんと禍々しい言霊だろうか。この言葉を使う者は絶対に正しく、だれひとり反論できない。もう無敵なのだ。まるでこの語句には真実という頼もしい味方がついているかのようだ。

このような言葉を許してもいいものだろうか? 「徹底的にこの言葉に抵抗しよう!」私たちはついに立ち上がった。終わりの始まりの終わりの始まりのために……。