苦い文学

注文者たちの日

コロナが来るずっと以前のこと、彼はとある居酒屋で絶望していた。なぜかというと、何度手を挙げ、どれだけ声を張り上げても、店員たちが彼のところに来てくれなかったからだ。

ぶらりと入ったこの店で、たまたま大テーブルに空いている席を見つけ座ったのはいいものの、最初の注文ができずにもう1時間が過ぎようとしていた。おしぼりも箸もお通しもまだなのだった。

店はさほど混んでいるわけでもなかったが、どういうわけか店員たちの知覚から彼の存在は滑り落ちてしまうようだった。声をかけると店員はちょうどよそ見している。来たと思って手を挙げると、厨房に呼ばれて急に引き返す。彼は店員がもっとも近づき、なおかつこっちのほうを向いているときを辛抱づよく待つ。ついにその時がくると、もうなかば腰を上げるようにして「すいませーん」と大きな声で叫ぶ。だが、その声はおりから湧き起こったサラリーマンたちの野太い笑い声にかき消されてしまう……。

彼の顔には疲労と深い悲しみが浮かんでいた。その歪んだ口は「いつもこうなることはわかっているのに、どうして店になんか入ったんだろう!」とでも言いたげだった。そう、彼はいつもこんな目に遭っていたのだ。彼はかぶりを振って、店から出ようと立ち上がった。

すると、そのとき、誰かが彼の腕を掴んだ。それは向かいに座る若い男だった。

その若い男は、彼の腕をグイと引っ張って再び座らせると、店員を呼んだ。まるで魔法のようにすぐに駆けつけてくる。男は壁の品書を見ながらゆっくりと言った。

「えーとね。上唐揚げともつ煮込み、あと、エシャレット、それから、芋焼酎で」 と、ここで彼のほうを向いた。「でね、なににします?」

彼は慌てながら「え……ビールで、あと、タコぶつ」

「じゃあ、それでお願い」と男は頼んだ。

店員が去り、注文が運ばれてくるまでのあいだに、若い男は自分がIT関係の会社の経営者だと明かし、こう言った。

「失礼ながら、先ほどから拝見しておりましたが、ぜひご協力をお願いしたいと思いまして」

「ご協力とは?」

「現在進行中の私たちのプロジェクトに加わっていただきたいのです。その悔しいお気持ちをプロジェクトに思う存分ぶつけてもらえたら……」

店員が芋焼酎のグラスと中生ジョッキをテーブルに置いた。若い男はグラスを持つと彼にうながした。「さあ、乾杯しましょう! 私たちが変えようとしている世界のために!」

2人が乾杯したこの日こそが、現在の「タブレット注文システム開発記念日」だ。この日、タブレット端末で注文すると、全品5%引きになる。