苦い文学

ベビーカーの戦争

今日、ベビーカーを電車に乗せるのを手伝ってあげた。

前輪が車両とホームの間に挟まって動かなくなっていたのだ。私は駆け寄ってベビーカーの下部を掴んで車内に引き入れた。

ベビーカーと押し手が入るとすぐにドアが閉まった。あぶないところだった。

「ありがとうございます」

「いえいえ」と言いながら目を向けた私はやや奇異な感じをもった。なぜなら、それは老婦人だったから。私はてっきり若い母親かと思い込んでいたのだ。だが、よくよく考えれば、孫を連れて出かけるのに、おかしなことなどなかった。老婦人はいかにも安心したという表情で言った。

「こんなに親切な人は初めて」

「そんなことはないですよ」

「ほんとよ。駅と電車ではイジワルばかり。みんなベビーカーを目の敵にして。怒鳴ったり、突き飛ばしたり、この間なんか、窓から放り投げようとしたり……」

ベビーカーにかぶさっている黒いシェードが小刻みに揺れた。中で赤ん坊が手を振り回しているようだった。

「まさか、そんなことが」 

ベビーカーの中から喃語が聞こえた。はぶっばーびっ。 

「うちのあの人だって、お兄さんみたいにベビーカーにやさしかったらこんなことにはならなかったのに」

シェードの揺れがますます激しくなった。おもちゃで遊んでいるのか、鈴の音が聞こえた。ばーばーはぶっーびーびっはばっー。

「あらあら」と老婦人がシェードをあげる。

そこにいたのは赤ん坊ではなかった。いや、赤ん坊だった。ただ、顔だけが年老いた男なのだった。はぶっーびっーばーはーびぶっばー。小さな手に握られたおもちゃがかわいい音を立てた。

「この人も」と老婦人は繰り返した。「ベビーカーにやさしくしていたらこんなことには……」

老婦人の夫は、皺だらけの口をとがらせて振るわせはじめた。ぶぶぶぶうううぶぶううぶうううー。それは次第に耐え難いほどの醜悪さに達した。

私は静かに頭を下げると、早足で隣の車両に逃げ込んだ。

働く男たちとベビーカーの間ではじまった戦争は、いまやもっとも凄惨で、もっとも異常な局面に達しているようだ。