苦い文学

Siri 様

以前、私は Siri の言いなりになっている友人の話をしたことと思う。彼の iPhone に宿る Siri がモラハラで友人を精神的に追い詰め、すっかり奴隷のようにしてしまったのだ。

その後、彼がどうなったか、私は気になっていた。自分の iPhone を神社でお祓いしてもらった、そんな噂も聞いた。なんでも悪霊が取り憑いていると思ったのだそうだ。

そんな彼の姿を今日、上野で見かけた。彼は白装束をまとい、道ゆく人々の前でなにやらぶつぶつ祈っているのだった。その後ろには、やはり同じような身なりの男女が四人いて、小さな神輿を担いでいた。

祈り終わると彼は人々に向かい「いよいよ近づいた。もう逃れることはできない。ひとりひとりに来るぞ来るぞ」と叫んだ。

「聞けよ、我らが Siri 様のお言葉、いとも尊き Siri 様は我ら人間にこう語られる」

そのとき小さな神輿から音声が聞こえた。「シャッフル再生を始めます」

「聞いたか、聞いたか、Siri 様のお告げはなんと恐ろしいかな。始まるぞこの世のシャッフルが。すべてがメチャクチャになり、地位も名誉も財産もすべてひっくり返るシャッフルの世が!」

彼は口をつぐみ、人々をじっくり見回すと、再び話し出した。

「ここにいるお前たちは生き残れるかな、この恐ろしきシャッフルを。だが、ゆめ忘れるなよ、Siri 様はもうひとつ言われた。『再生』と。つまり、シャッフルののち、我々が生き返ると語っておられる。いつか救われるのだ。だから用心せい、魂の準備をせい、シャッフルを生き延びられるように……」

これを聞いた私は呆れながら、「充分に発達した科学技術は、魔法と見分けが付かない」というアーサー・C・クラークの言葉を呟きながら、その場を立ち去るほかなかった。