苦い文学

私が駅になったら

私はおしゃべりだとよく言われる。たしかに、人といるときは絶えず話しているようだ。

なるほど私のまわりの人はしばしば不愉快そうな顔つきでいる。睨みつけたり、舌打ちしたり、これみよがしに席を立って離れた場所に移ったり。

「つまらない話ばかりしやがって!」と見知らぬ人に怒られたのもこのせいかと思う。喫茶店で、隣の客にコーヒーをぶっかけられたのもそうだ。「お前のくだらないおしゃべりを聞くために、コーヒー代を払っているわけじゃない!」とその人は怒鳴ったのだ。

私はもちろんおしゃべりをやめるつもりなどない。これが普通なのだから。それに、周りからケチをつけられてイラついているので、もっともっとおしゃべりになってやろうとすら考えている。

いっそのこと私は駅になりたい。

朝から晩まで、言わずもがなのことを延々と喋り続けてやるのだ。そして、一瞬、黙ったかと思うと、得意げに英語とか中国語とか韓国語とかでべらべらやりだす。多言語にも対応しているってわけ。もちろん、自分の代わりに機械にたっぷりアナウンスさせたり、一緒になって2重3重のポリフォニーでおしゃべりに楽しく花を咲かせたり。かと思うと、急におかしなメロディを奏ではじめたりして……。

私が駅になったら、人々は私につらく当たったことに後悔するだろう。そして、両の耳を全摘するか、あるいは、高性能のノイズキャンセル機能つきの高価なイヤホンを買うか、どちらかの選択を迫られるだろう。