苦い文学

病なき世界

それほど遠くはない将来、私たちの社会から病気というものが一掃されるだろう。

風邪も、腰痛も、水虫もなくなる。もちろん、我々がこれらの病に罹患しないというわけではない。私たちの体内に組み込まれた人工的なメカニズムが、私たちが気がつく前にそれらの病を抑え込んでしまうのだ。

風邪もないのでその世界では咳は存在しない。鼻炎もないから、鼻をすすると「なんの音だ」と周りに人がわらわら集まってくる。そんな音を聞いたことがないのだ。

もしかりに誰かが痰を吐いたとしよう。世紀のニュースだ。まるで日本オオカミが見つかったみたいな騒ぎだ。痰を見ようと日本中から人がやってくる。列を作って並んでる。それだけじゃない、痰を吐いた人のほうも、あっちこっちのイベントで痰を吐いてくれと声がかかる。もうひっぱりだこだ。

「ぜひ明日、フードコートで、痰のほうを、ひとつぜひ……お願いできませんかね」

「いえ、申し訳ありませんが、明日は皇室の晩餐会で、痰吐きを披露する予定でして……」