人生の試練は何のために与えられるのでしょうか。
それは、私たちがその試練によって成長するためです。
苦しい病にかかった人は、治った時には病人の気持ちがわかる人間に成長していることでしょう。
仕事がない、お金がない、そんな逆境にある人は、ふとかけられた優しい言葉から人の温もりを知ることでしょう。その人はいつか逆境を抜け出た時、かつての自分と同じような状況にある人々に手を差し伸べるはずです。
悲しみ、孤独はどうでしょうか。その苦しみを深く経験した人は、必ずや、悲しみに沈む人、孤独に悩む人のそばに寄り添い、その肩にそっと手を置くことでしょう。
この世界に起きるすべてのことに意味があります。試練は本当は試練ではない。それはチャンスです。私たちの経験を深める機会、それを活かす道を悟らせてくれる機会なのです。
こう言いますと、生まれてこのかた、次から次へと試練の連続で、それを活かす機会がいっこうにやってこないという人もいるではないか、と主張する方もあるかもしれません。いわば、若い時から買い集めた苦労の使い道がいつまでたっても見つからぬというわけです。
そうした人にとっては、残念ながら、試練とは骨折り損のくたびれ儲けにほかならないのですが、もちろん、例外として無視してかまいません。