私は犬を飼っている。マンション暮らしなので、たまには自由に走らせてやりたくて、車に乗せてドッグランに連れて行った。
その日は日曜の昼だというのに、奇妙にもほかに誰もいなかった。人の吐息のような湿気のある空気が立ち込めていて、私はしきりに汗を拭った。
それでも犬は元気に走り回っていたが、不意に私のところに怯えて逃げ込んできた。ドッグランのスタッフが大きな黒犬を連れて入ってきたのが見えた。
私は、震える犬を撫でながら、自分自身も得体の知れない不安を感じた。そして、スタッフのほうに再び目をやったとき、彼が連れているのが犬ではないことに気がついた。
それはシェパードほどもある黒い軟体動物だった。
スタッフは私に近づいてきた。その生き物も身をくねらせながらその脇を進んできた。私はとっさに犬を抱き上げた。その生き物はおぞましかった。
「すいません。今日はもう閉園です」と彼は言った。
私はうなずき、彼が連れている「もの」について尋ねた。
「ああ、これはフトクです」
「フトク?」
「ええ、急に訓練しなくてはいけなくなりまして、申し訳ありませんが……」
相手の態度に非日常的なところがなかったせいか、私は好奇心が湧いてきた。
「そのフトクとはなんなのですか? はじめて見ました」
「ああ、まともな人なら見ることはありませんよ。これは、不徳の致すところの不徳です」
「不幸の不に徳川の徳の?」
「ええ、ときどき不徳が不始末をしでかすので、飼い主の方が訓練してほしいと」
私は理解した。「つまり、不徳の致さぬようにしてくれと」
スタッフは笑った。私はその笑い声を聞きながら、犬を抱いて足早にドッグランを立ち去った。「私の不徳の致すところ」とは、こう言う人間にとってみれば「私の犬がやったこと」と言うのと変わらないのだ、という事実に驚きながら。
そして、あのおぞましい生き物がいかに哀れかと気がつき、自分の犬をいっそう抱きしめた。