苦い文学

「せよ」の魔力

私たちは「しろ」といわれても絶対にしない。なぜならとても失礼だからだ。

だから、「して」とか「してください」とか「しなよ」とか「しろって」とか、他にもたくさんあるが、こういうふうに言われてはじめて、私たちは「しようかナ」とか「するか」という気分になる。

そのいっぽう、奇妙なことに私たちは「せよ」にはまったくそんなことを感じない。

「せよ」も「しろ」も同じ「する」の命令形なのに、「せよ」と言われても、不愉快にはならないし、それどころかただちに「する!」という気になってしまうのだ。

ある調査によれば、小学校男児30人に「勉強しろ」と言ってみたところ、勉強したのは3人だったのに対して、「勉強せよ!」といったら、28人が勉強をはじめたそうだ。

どうやら「せよ」には不思議な力があるようなのだ。この力ゆえに、私たちは次のような文句をよく目にすることとなる。

「この夏、3Dを体験せよ!」
「新しいポケモンをゲットせよ!」
「次なるミッションをクリアーせよ!」

こういう文句を見るたびに私たちは興奮気味に「する!」と立ち上がるのだ。

とはいえ、注意していただきたいこともある。それは「せよ」の魔力は、男の子か、未熟な成人男性にしか効かないということだ。

女性にはまったく効かない。