大学時代の友人と駅でばったり会った。哲学だか文学だかの批評活動をしているという男だ。
私たちはたまたま同じ方向に向かうようで、同じ電車に乗り、隣り合って座った。座るなり、彼はこんな話を始めた。
「ちょっと腰を痛めてね、整骨院に行ったんだ。で、椅子に座って待ってると、目の前に張り紙がある。どんなことが書いてあるかというと、2つの休養、つまり積極的休養と消極的休養だ。
「どちらも大事というんだが、まあ、これを見て、俺はちょっと頭に来て。積極的休養というのはまだいい。ウォーキングとかマッサージとかストレッチだ。
「問題は消極的休養だ。体を動かさない休養ということらしいんだが、睡眠、昼寝、そしてなんと読書だ。
「なんだこれは、と。読書が消極的休養? いやいやそれはありえない。読書ってのは、読み手とテクストの間で繰り広げられる死闘ではないか。この書を読み解かねば俺は死ぬ、そんな真剣勝負なんだ。それが休養とは!
「いやもうあきれてものが言えない。まあ、安っぽい自己啓発書か、軽佻浮薄なブンガクを読むっていうことなんだろうが、それがはたして読書の名に値するかね」
話しているうちに興奮してきたものらしく、彼はカバンから勢いよく分厚い本を取り出した。
「Ideen zu einer reinen Phänomenologie und phänomenologischen Philosophie さ(注:オーストリアの哲学者フッサールの大著『イデーン』)。これを原文で読むのが休養? 笑っちゃうね。ま、すまないが、しばしフッセルルと格闘させてもらうよ」
と言って彼は本をバンと開いた。そして、目をくわっと開いて本に向かい、30秒後に静かな寝息をたてはじめた。