苦い文学

処理への偏向

【ザンゲー通信社 コラム:記者のひとこと】
今、日本ばかりか世界中で処理水が議論の的になっています。

そもそも処理水の処理とはなんでしょうか。経産省によれば、処理水とは正確には「ALPS 処理水」のことで、これは原発の放射性物質を含む水からトリチウム以外の放射性物質を安全基準を満たすまで浄化した水のことだそうです。この過程を「処理」と呼んでいるのです。

ですが、皆さんもご存知のように、この「処理」にはほかにさまざまな意味があります。

たとえば「化学処理」とは化学技術を用いたプロセスを完遂することですし、「情報処理」とはコンピュータを用いて情報を別の情報に移行させることです。「事務処理」「会計処理」「経理処理」「財務処理」も大事な「処理」ですね。

ゴミを焼却するのは「ゴミ処理」です。さらには、「脇毛処理」「鼻毛処理」「ムダ毛の処理」など身近な処理もあります。詳しいことは申し上げませんが、「性欲処理」などもあり、キリがありません。

いったい「処理」にはどれくらいの「処理」があるのでしょうか。たくさんありすぎてもう処理しきれません。

こんなにも意味の多い言葉を、国際的に大きな議論を引き起こすに違いない水の名称に安易に使用してしまったことが、はっきりいえば、問題だったと思います。

「処理」などといわずに「汚染浄化水」「安心安全水」「魚がむしろ元気になる水」「社会主義核心価値観水」など誰でもわかりやすい名称を用いていたとしたら、こんなにも近隣諸国を騒がすことになったでしょうか。

これまで我々が「処理」という語に頼りすぎたツケが、いまここにきて大きく現れている、そんな気がしてならないのです。