苦い文学

仰天プラン

現代社会において「仰天プラン」ほど使用が厳しく制限されている言葉はない。なんぴとたりともこの言葉を勝手に使用できないのだ。

まず、「仰天プラン」について報じることができるのは、選ばれたメディアだけだ。具体的にはスポーツ新聞か、夕刊紙だ。一部のネットニュースを除けば、これ以外のメディアでは、「仰天プラン」に関する報道は禁じられている。

また、「仰天プラン」について語ることのできる人も非常に限られており、2つのグループしか許されていない。ひとつ目のグループは野球やサッカーなどのスポーツ関係者だ。もうひとつはちょっとうさん臭い人々だ。怪しげなプロデューサーや党首、映画監督などがこれにあたる。

さらに、「仰天プラン」の提示の仕方にも決まりがある。「仰天プラン」はいつも「明かす」とか「ぶちあげる」とか「浮上する」とか、そんなやり方でしか現れることができない。

こうした制限は理不尽なものかもしれない。だが、これはとてもよいことだ。というのも、まともな新聞やニュースで私たちがこんな見出しを見るようになったら、もはや世界の終わりだからだ。

「岸田首相、支持率回復に仰天プラン明かす」

「ウクライナ停戦に仰天プラン浮上」

「北朝鮮、未明に仰天プランとみられる飛翔体ぶちあげる」(仰天プランかどうかは確認中)