苦い文学

天国に手を伸ばして

一度限りの人生を生きるということは天国に行くようなものだ。

というのも、私たちが自分たちの人生が一度きりだということを思い出すのは、好きなことをしたい時だけだからだ。

そして、好きなことがなんでも許されているのが天国だ。

いっぽう、私たちが自分たちの人生が一度きりだということを思い出さないとき、私たちはなにをしているだろうか。

たぶん、好きなことではないだろう。きらいなことばかりではないかもしれないが、私たちが自分たちの人生が一度きりだということを思い出すときのような、特別なことではない。

そうした特別でないことは、しなくてはいけないからやっているにすぎない。ありふれたルーティンワーク、しがらみ上の作業だ。本質的には楽しくないことだし、ときにはつらいことでもある。

天国が地獄かというと、むしろ地獄に近い。

昔の人々は死後の世界があると信じていた。そして、生きている間に良いことをすれば、天国に行くし、そうでなければ地獄に行くと考えていた。

現在の私たちは、死後の世界をもはや信じることはできない。それは私たちが信仰心を失ったからではない。それは、私たちが、人生は一度きりと考えたほうが楽だということに気がついたからだ。死後に与えられる報いを待つよりも、現世で天国と地獄の報いを得たほうが手っ取り早いではないか。

人生は一度きりと思うたびに、地獄から天国に手を伸ばして、好きなことという天国の一部を、自分で簡単に手に入れる。

私たちはこのシステムがえらく気に入ったので、死んで天国に行こうなどとはもう思いもしない。それに天国だってお断りだろう。