時間とはなんだろうか。
時間が経つとそのぶん世界が変化する、ということを考えると、世界の変化が時間だ。
いっぽう、ある宇宙論によれば、我々の世界は拡大しつつあるのだという。つまり、世界の変化とは世界の拡大だということになる。
世界が拡大していくとはどういうことだろうか。世界が大きくなるとは、その中にある諸物も大きくなることだ。しかし、それらの諸物をつくる質量そのものは変わらないのだから、要するに世界の諸物はだんだんスカスカになっているのだ。
ここでたとえば考えて欲しい。水と泥の中のどちらが進むのにたやすいかを。答えはもちろん水だ。なぜなら水は泥よりも粘度が低いからだ。粘りがないということは、つまり水のほうがスカスカなのだ。
世界の諸物がスカスカになっていくといったが、これはちょうど世界の諸物が泥から水へと変わりつつあるということと同じだ。世界が変化すればするほど、世界は水のようになりその粘度は下がる。そして、その中を進むのはより早くなる。
泥のプールを10メートル進むのにたとえば1時間かかったとしよう。しかし、一定の変化ののち、水のプールに変化したとしたら、ほんの数分で同じ距離を進めることとなる。
これは空間のたとえだが、時間についても同じことがいえる。ある時点で1週間たつのに1週間かかっていたとしよう。しかし、20年後の世界では、もっと短くなっている。たとえば、1週間たつのに4日間かもしれない。いずれにせよ、これは世界の粘度が下がるため、4日間で1週間分の変化が可能になったため生ずるのである。
我々の時間感覚というものは、生まれて数年のうちにその当時の世界の粘度に応じて形成される。だが、世界が変化し、その粘度が下がるにつれて、我々の体得した時間感覚とのずれが生じてくる。つまり、時間の進むのが早く感じられてくるようになるのだ。
こうした事情により、我々はある一定の年齢になると、1年があっという間に過ぎてしまうのである。