苦い文学

孤独な人々の続き

孤独な人々を当局に通報した後は、どうすればいいのだろうか。

これは簡単だ。

孤独を矯正するための施設に放り込むのだ。施設は集団生活だから、孤独な人を孤独でなくするにはうってつけだ。

そればかりではない、朝から晩まできつい労働が待ち受けている。友情、協力、親愛、人の情けを徹底的に叩き込むのにはこれがどうしても必要だ。あまりにも忙しいので、もう孤独について考える暇のないくらいだ。

この施設の中でも密告が奨励されている。ちょっとでもひとりでいるところを見られようものなら、反逆的な孤独犯だとみなされて、きつい刑罰が加えられる。

だから、みんないつも誰かと一緒にいる。トイレに行くにも、女学生みたいに手を繋いでいく。

もちろん、施設は劣悪な環境だ。シラミとダニ、奇妙な虫たちとの同居生活だ。食事もひどいものだ。残飯と変わらない。しかも分かち合いの精神を涵養するために、わざと量を少なくしてある。だから、分かち合いというより奪い合いだ。

厳しい労働と栄養失調のせいで、施設では、みんなどんどん死んでいく。死んでも孤独であることは許されない。遺体はみな、同じ穴に投げ込まれる。

確かに施設は恐ろしい。だが、施設の外だって安全とは言えない。

孤独が犯罪である以上、孤独な様子などみせられない。いつも快活な表情でウキウキしていなくてはならない。外歩くときは、いつも誰かと肩組んで歩く。脇の下の匂いなど気にしていられない。

一瞬でもひとりぼっちにならないように、携帯電話は手放せない。どうでもいいメッセージを絶えずやり取りしている。さもなければ「単独犯」だとみなされてしまうからだ。

あやうくひとりきりになってしまったときなどは、電話をしているふりでなんとかごまかせる。しかしこの手で逃れる人がおおぜい出たので、ちゃんと通信記録までも調べられるようになった。

もはやこの社会ではどこであろうと、ひとり歩きは危険なのだ。