今回の不祥事に関する謝罪会見に先立ち、まず「ごめんなさい」「すみません」について申し上げたく存じます。
日本語では主語というものがありまして、たとえば「私が食べる」ならば、食べるのは私で、この「私」が主語となります。「私が悲しい」も同じで、主語は「私」です。このように、「が」がつくと主語となるのですが、少しお考えいただきたいのです。「ごめんなさい」「すみません」の主語はなんなのかと。
「私がごめんなさい」という人はいるでしょうか。「私がすいません」など聞いたことはありません。いや、もしこんなふうに言ったとしたら、むしろ「そうです、私が変なおじさんです」の感じに似てきて、さらなる謝罪に追い込まれる可能性もあるのではないでしょうか。
そうです、私の知るかぎり「私がごめんなさい」などという言い方はないのです。
人は謝罪を求めるときに、どこの誰ともわからない人からの謝罪を望んでいるのではありません。責任を持つ特定の誰かからの謝罪を求めているのです。
ところが、「ごめんなさい」と「すいません」ではその大事な責任者を表すことができません。ですので、このような言葉を用いて、謝罪を行うのはじつに無責任ではないかと考えています。
なるほど「私こそごめんなさい」「私が悪かった」ならいいかもしれませんが、私としては「ごめんなさい」と「すいません」の問題が解決するまでは、誠意のある謝罪は不可能であると考えております。したがいまして、予定していた謝罪会見は見送らせていただきたく、あしからずご了承ください。