5年ほど前のことだ。秋葉原駅で、山手線から総武線のホームに向かう人の流れに乗って歩いていると、うっかり前の人の靴の踵部分に、自分の靴の先を引っ掛けてしまった。
一瞬「悪いことした」と感じ、謝りたいと思ったが、踏まれた相手は前をずんずん歩いているし、そもそも、この人の流れの中で相手を引き止めることなどありえない。そんなふうに考えていたら、その「被害者」そのものを人ごみの中で見失ってしまった。
そして、昨日、私はやはり秋葉原駅の人の流れの中にいたのだが、不意に自分の足の踵を誰かに踏まれた。それはほんの一瞬のことだったが、それでも私にはわかった。
「これだ。まぎれもなく私のだ」
5年前、私が靴を引っ掛けた人は、その後、今度は別の人の靴を引っ掛けたにちがいない。そして、その人がまた別の人、さらにその人が別の人というように、まるでバトンのように引き継がれ、とうとう私のもとに帰ってきたのだ。私は思わず歓声を上げた。そして、それはまだ私とともにいる。
いつかの日か、自分のもとに帰ってきたそれを、誰か別の人に渡すときが来るだろう。それは長い旅のすえ私のもとに再び戻ってくるかもしれない。あるいはその前に私がくたばることだってありうる。
たとえそうでも、私のそれは、混雑というものがある限り、人から人へと渡り歩いていくことだろう。