このまま AI の進化が進めば、私はいつか AI にとって変わられるだろう。
AI が私がこのブログに書いたものすべてを学習し、そこから私の人格を生成し、その人格が私に変わって執筆活動を始めるのだ。
「いや、それは無理だ。なぜなら人格を構成する要素は膨大で、著作物などはその一部にしか過ぎないからだ」
そういう人もいるかもしれない。しかし、現在の AI が古い写真をより解像度の高い画像に変換してみせるように、進化した AI は、私に関する不完全な情報から、私に非常に近い人格を生み出すことができるようになるかもしれない。
その結果、AI の生成した「私」が、私の死後もこのブログを書き続けることになるだろう。それらは AI である「私」が書いたものだが、存命中の私が書いたものとまったく変わらない。
まるで生きている私が書いたような出来栄えなのだ。
これを、AI のほうから見れば、生きているこの私が書いたものも AI が書いたといっても差し支えないことになる。なぜなら、書き手は本質的には同一なのだから。
となると、今これを書いている「私」も AI だということになるのではないか。
たしかにそうだ。やたらとデタラメをいいたがるところもよく似ているし……。