苦い文学

大事でない袋

久しぶりに結婚式に招かれた。

私はただの出席者に過ぎなかったが、同じテーブルの人がスピーチに立った。

スピーチ自体はお決まりのもの、つまり、結婚生活で大事な袋を5つ挙げるというものだった(堪忍袋、給料袋、お袋、胃袋、金玉袋)。だが、奇妙だったのは、その人がスピーチの終わりにこう言ったことだった。

「大事な袋についてお話ししましたが、念のため大事でない袋もあるということを申し添えておきます」

彼がテーブルに戻ってきたとき、私はこの言葉の真意を尋ねた。その内容を以下書き記しておく。

「我々の社会は袋なくして成り立ちません。ですが、あまりに袋を大切にし過ぎているせいで、弊害も生まれてきています。つまり、まったく必要でない袋まで幅を利かすようになっているのです。

その代表が、飲食店で出てくるおしぼりの袋です。おしぼりを使ったのち、あの汚く破れた袋をどう始末したらよいのか、だれにもわからないのです。

私はあれはゴミだと思っています。ですが、店員は絶対に回収に来ません。食べ終わった皿をどんなに早く回収するレストランでも、あの袋は持っていってくれないのです。

これはおそらく、我々が袋を大切にしすぎるから、店側としてもうっかり回収してクレームでも言われたら、と思っているのではないでしょうか。

私が、大事な3つの袋の話の後に、大事でない袋もある、ということを付け加えたのは、こうした社会が少しでも変わってほしい、と願ったからなのです」