苦い文学

文学解釈と想像力

はたらけど、はたらけどなお、わが生活楽にならざり、ぢつと手を見る

この短歌は、石川啄木が作った歌です。たぶん、みなさんもご存知だと思います。

石川啄木という人は、とても貧しい生活をしていました。貧しいというのはお金がないことですから、お金を稼ぐために一生懸命働かなくてはなりません。それで、石川啄木はがんばって働いたのですが、それでも生活は楽になりませんでした。

「こんなに働いているのにどうして自分の暮らしはいつまでも厳しいのだろう」 そんな気持ちがこの歌の前半で描かれています。

その後に、石川啄木は「ぢつと手を見る」と続けます。どうして彼は「ぢつと手を見」たのでしょうか? ここはちょっと難しいところです。ぜひ、想像力を働かせてください。文学を読むときは想像力がなによりも大事です。

みなさんもいろいろ想像されたかと思いますが、私の考えを述べさせていただきます。彼が自分の手を見たのは、そこに「気づき」があったからです。

つまり、石川啄木はどうして自分の暮らしがこんなに厳しいんだろう、と悩み、ふと自分の手を見た瞬間に、その理由に気がついたのです。それで、思わずじっと見つめてしまった、そんな驚きと感動がこの短歌の表現の核といえます。

では、彼は自分の手に何を見出したのでしょうか。それは実際のところわかりません。彼は何も書いていないのですから。

ですが、ここでも想像力がものをいいます。

手にあったものとは、おそらく、現代でいうならば、パワーストーンの指輪のたぐいではなかったでしょうか。

彼の手は、指輪だの数珠だの高価な開運アクセサリーでいっぱいだったと考えられます。そんなものにお金を使っていたのでは、暮らしが楽にならないのも当然といえば当然ですね。