苦い文学

マスク外すと

3 月 13 日、厚労省がマスク着用について「個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断を基本とする」との方針を打ち出した。

それからすでに1ヶ月が経ったが、驚くべきことに、この日本ではだれひとりマスクを外してはいないのだ。

「いや、そんなことはない、最近ではマスクをつけない人もちらほら見かけるようになりましたよ。私もときには外しています」

そんなことを言う人もいるかもしれない。なるほど、街には確かに不織布にせよウレタンにせよ、マスクをつけていない人がいるようだ。

だが、ぜひ、そのマスクのない顔をじっくり観察してほしい。

ある人は「マスクを外したった」という顔つきで鼻息も荒く歩いている。また別の人は、周りの様子を伺いながら恐る恐るといった顔つきで道の片隅を歩いている。マスクをしていないのが自然だ、という顔つきをわざわざしながら歩いている者もいる。

さらに、この世界線ではマスクなど存在しないのだ、という顔つきの人もいれば、マスクなど意識していないという顔つきを演じている顔つきの人すらいる。

そうなのだ。マスクを外してみれば、「不自然な顔つき」という別のマスクがまだ張りついていたのだ!

ああ、私たちはいつこのマスクを外すことができるのだろうか。いつ、コロナ以前の自然な顔を取り戻すことができるのだろうか?

もしかしたら、このマスクを外すのにも、別のワクチンを打たねばならないのだろうか。