苦い文学

自由のマスク

明日、3月13日からマスクが変わる。

今日までは、政府が新型コロナウイルスの感染対策として国民にマスクをつけるように「お願い」してきた。だが、明日、いや、もう3時間後にも、マスク着用は個人の判断に委ねられるのだ。

たとえば、マスクを下げて鼻だけ出す着用法、いわゆる「鼻出しマスク」は、コロナ対策としては不適切なものとみなされ、避けられ、蔑まれていた。だが、明日からは個人が良いと思えば、いつでもどこでも堂々と鼻を出していいのだ。

いや、それどころではない。私たちは明日から、どんなマスクのつけ方をしても、誰にも文句は言われないのだ。

片耳からぶら下げようと、アイパッチのように使おうと、おでこに当てようと、あるいは頭のてっぺんに載せようと自由ということになったのだ。

いや、そればかりでない。不織布でなくてもいいのだ。あらゆる素材が可能だ。ウレタンでも、布でも、藁半紙でも、鉄でも、皮でも、ゴザでも、オブラートでも、すべて個人の判断だ。

そうだ。色も、デザインもだ! 犬とか猫だってあなたがそう判断すればマスクだ! それに、1枚だけというのでもない。いくつでも文句は言われないのだ!

今、日本中ですべての日本人がこの解放のときを待っていることだろう。

思えばマスクは私たちが味わった不自由の象徴であった。だが、3時間後、12時の鐘が鳴ったとたん、それは自由の象徴と変身するのだ。まるでおとぎ話のシンデレラのようではないか。

さあ、私たちは明日、どんなマスクを何枚、どのように、どこに、つけようか。そう思うと、まるで舞踏会に行くかのようにワクワクが止まらないのだ。