苦い文学

ありがとう、オリンピック

2020東京オリンピックが決まったとき、喜ぶ人々の中で、こう警告した人がいた。

「いや、これは東日本大震災以上の災厄になるぞ」

私はこの警告を心の中にとどめた。数年後、コロナが来て、2020年のオリンピックは延期された。

そのまま中止になるかと思いきや、2021年、大勢の人が反対する中、オリンピックが開催された。反対する声も、実際に歓声が上がりだすとだんだんとかき消されていった。

そして、その翌年、東京オリンピックをめぐる大規模な汚職が明らかになった。その全貌はいまだ明らかになってはいないが、このニュースを聞いて、誰もが理解した。あのときどうして関係者たちが、反対の声にいっさい耳を貸さず、オリンピックを強行したのかを。儲けがふいになるからだ。

コロナで人が死のうとどうなろうとかまうもんかだ。これを災厄と言わずして何を災厄と言おうか。

オリンピックは平和の祭典だ。オリンピック憲章のオリンピズムの根本原則にも「平和な社会の推進を目指すために(中略)スポーツを役立てること」だと書いてある。

オリンピックは平和そのものだし、戦争とは真逆の存在だ。だが、私たちにわかってきたのは、オリンピックでも、戦争でも結局、儲けるのは同じ悪党で、金を搾り取られて死ぬ思いをするのは私たちだということだ。

こう考えてみると、オリンピックには開催されない年があって、そのときだけは平和に過ごすことができるのは、ありがたいことではないか。