苦い文学

最後尾の人(1)

その老人の命は今にも燃え尽きようとしていた。

身寄りがない彼には、誰一人看取る者もいなかった。ただ、隣人の青年がときおり同情心から見舞いにやってくるだけで、そのときたまたま病室にいたのだった。

死期を悟った老人はかすれた声で青年を呼んだ。

青年が近くに椅子を運んで座ると、老人は喉を苦しげに鳴らしながら「私は最後の人間だ」と語り、これまで誰にもしたことがない話を打ち明けはじめたのだった。

それは、数十年前にさかのぼる。そのころ、老人、その名を尾藤としよう、はある奇妙な現象に遭遇したのだった。

尾藤はある日、近所のラーメン屋に行列ができているのに出くわした。興味をもった彼は、そこに並び、待つことにした。待っている間に一人、また一人と順が来て店に入る。そして彼の順もゆっくりと近づいてきたのだが、そのときふいに彼は気がついた。

自分の後ろに誰も並んでいないことを。

これは奇妙なことだ。人気店だから行列が途絶えるはずもないのに、彼が最後尾に立っていたのだ。彼はつまらない気持ちになった。だって、まるで自分ばかり待たされているようではないか。

このときの尾藤の気持ちは次のように解釈できる。

すなわち、列に並ぶというのは決して楽しいことではないが、それでもそれが我慢できるのは、自分が列に並んでいるということや、その列が着実に進んでいるということなどによるのではなくて、ひとえに自分の後ろに人がいるということのみによるのである。

つまり、自分が誰かよりも先にそれにありつけるという意識だけが、行列に並ぶことを正当化するのだ。

そんなわけで尾藤は、後ろに人がいないことを知ったとたん、自分だけが損したような不愉快な気分になったのである。

「けど」と彼は考えた。「たまにはこういうこともあるさ」

だが、この出来事は彼にとって単なる偶然ではなかったのだ。