苦い文学

伝えがい

人生にはいろいろな喜びがあるが、相手の知らないニュースを伝える喜びもまた格別なものだ。それがたとえ訃報であっても。

先日、父が亡くなり、「隣組」にそれを伝えに行った。

私は「隣組」がどういうものか知らなかったが、親族の長老的な人がそう助言したので、面倒臭かったが、行かないわけにはいかない。

夜、隣組の長の家に行き、インターホンを鳴らす。しばらくすると、玄関ではなく、脇の座敷の窓が開き、老人が顔を出した。私の父よりも年上のご老人だ。

私が、父の亡くなったことを告げると、老人は驚きの声をあげ、お通夜と葬儀の日程を慌てて書き取った。

それが済むと、彼はゆっくりと私の実家のある斜め上のほうを見上げた。そして、そこに広がる夜に向かって「亡くなった……」と絶句した。

この真情あふれる様子を見て、私は「伝えてよかった!」と心の中で小躍りしたのであった。

こんなふうに、訃報が届いたときに「伝えがいがあった!」と使者に喜ばれるような、見事なふるまいをすることも、立派な弔意の表しかたにちがいない。

そういうことのできる人間に、私はなりたいと思う(訃報求む)。