苦い文学

現代の弁慶ライフ

朝、電車に乗っていると、山伏のような異様な人物が乗り込んできた。まるで弁慶のようないでたちなのだ。

電車は都内に近づくにつれだんだんと混んできた。ドアの近くの席に座っていた私は、弁慶の様子をうかがっていた。この男、ただの乗客ではなかった。

普通、ドアの近くに立っている乗客は、乗り降りのさいに、脇に寄るか、奥のほうに進んだりして、邪魔にならないようにするものだ。場合によっては、いったん降りてドア付近を空けることもある。

だが、この弁慶、ドアの前からいっかな動こうとしないのだった。なので、乗降する人は身を屈めて脇を通り過ぎねばならなかった。

電車は満員になり、やがて、もっとも乗り降りが激しい駅に到着した。ドアが開くやいなや、いっせいに人が出口に動き出した。人々は前に立ち塞がる弁慶を小突き、押しのけようとしたが、弁慶は仁王立ちのままだ。

おお、彼はどれだけ迷惑だったことだろうか。乗り降りする人々の舌打ち、毒突き、罵りが矢のように襲うなか、彼はドア前を死守し続けたのだ。

「弁慶の立ち往生だ!」 傍で見ていた私は心の中で叫んだ……。

再びドアが閉まり、電車が走り出した。弁慶は相変わらずドアの前で踏ん張っていた。

降りる駅に到着したので、私は立ち上がった。彼の脇を通るのは少し不安でもあり億劫でもあった。だが、そこは彼の目的地でもあったらしい。彼は私より先に降り、ずんずん歩いて行ってしまった。

いっぽう、私は尿意を覚え、駅のトイレに駆け込んだ。列に並び、用を足し、改札口に向かった。

自動改札口を通るとき、端にある有人改札口で、あの弁慶が立っているのが見えた。

彼は、長々しい巻物を広げてなにやら読み上げていた。駅員は何とも言えない顔つきをして聞いていた。