苦い文学

何者かに

私がまだ紅顔の少年だったころ、人生はあたかも行手に広がる大海原のようだった。

そして、少年時代を終え、ようやく人生の浜辺に立った私はといえば、ひるむばかりで、前に進むこともできなかった。

私には夢がいくつもあったが、人生の大海原を前にしては、すべてが実現不可能な戯言のように思えた。

自分はいつか、夢を実現して何者かになることができるのだろうか、やがて、そんな不安が私を苦しめるようになった。

もし何者にもなることができなかったら……例えば、名刺に書けるような肩書きがないのを誤魔化すために「人間」というユーモア肩書きで取り繕うような大人になってしまったら……そう思うと夜も寝られなかった。

悩みはあまりにも深く、我慢の限界を超えたため、私は先生のところに行き、すべてを打ち明けた。

先生はこう言われた。

「何者かになりたいというのならば、ミイラを取りに行きなさい。成功すれば、ミイラ取りになれる。そして、失敗しても、少なくともミイラにはなれるから」

その時の私はなんだかバカにされたように感じたものだった。だが、結局何者にもなることができなかった今の私からすれば、ミイラになれるということすら、破格の好条件のように思える。