苦い文学

戦争と LGBT

ロシア政府は LGBT に関する情報発信を禁じたが、これは戦争を進める上で LGBT の存在が邪魔になると信じているからであろう。

また、中国でも、共産党は女性的な男性がメディアに出るのに極めて敏感だ。関羽ばりの男らしい男でないと台湾は奪えないということだろう(あるシンクタンクによれば、関羽と張飛が5人ずついれば「完全なる統一」が可能だという)。

こう考えると、「LGBT には生産性がない」などと公言する我が国の政治家の真意もわかってくる。つまり、生産性がないというのは、戦争の役に立たないということなのだ。

こういう人間たちがのうのうと生きていることに腹が立つが、私たちにとって慰安となるのは、こういった連中が死んで地獄に行ったとき、通常の罪人よりもはるかに厳しい責め苦が待っているということだ。

なぜかというと、地獄の全責任者である閻魔大王がゲイだからだ(これは、江戸時代の深遠なる思想書『根南志具佐』に記されている真実だ)。

なので、地獄では、鬼たちが極太の金棒をしごきながら、こういった連中がやってくるのをいまかいまかと待ち構えている。「LGBT の生産性」の何たるかを思い知らせてやろうというわけだ。

ならば、キリスト教に改宗すればいいのでは、という人もいるかもしれない。閻魔大王の地獄はキリスト教の地獄とは違うのだから、と。

だが、そういう人はイエスがゲイであることをご存知ないようだ。

かの有名な最後の晩餐で、イエスは弟子たちにこう告げるのだ。

「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」(ヨハネによる福音書 13 章 14 節)

洗い合った「足」が真ん中のでないとしたら、いったいどの足だというのだろうか……