苦い文学

核への親近感

プーチンが核爆弾を使うかどうかについて、いろいろな人が論じているが、使っても意味がないからその可能性は低い、というのが大方の見方だ。

意味がないとはどういうことかというと、まず核爆弾で劣勢を挽回することはできないというのがひとつ。さらに、核爆弾の使用により、ウクライナとその支援陣営の結束が強まる可能性がある。そして、中国などの数少ない味方も、ロシアを見限るかもしれない。

では、核爆弾の使用が意味があるのはどんなときだろうか。私が読んだ限りでは、2つあるようだ。

ひとつは、核爆弾の使用によって、相手の戦意を挫き、終戦に持ち込める場合だ。広島・長崎の原爆投下がこの例だ。しかし、これが効果を持つのは、ちょうど日本がそうだったように、相手が負けかかっているときだけだ。つまり、今の劣勢のロシアでは、意味がないのだ。

もうひとつの場合は、プーチン政権の維持に役立つときだ。核爆弾を使用することが、ロシア国内における自分の権力維持・増強につながるならば、プーチンは使用するだろう。

つまり、戦争に勝とうが負けようと、また、ロシアという国がどうなろうと、自分さえよければよい、というわけだが、ただ、こうした状況はあまりなさそうだ。

私は軍事についてはまったく知らないから、核爆弾の種類や、それぞれの戦略的な価値について、たくさん見逃しているとは思うが、こうして見ると、核爆弾とは、大金をかけて作った割には、たいして使い道がないようだ。

なんだか、今の自分のようで、親近感すら覚えるのだ。