苦い文学

「カルボナーラになります」

「(こちらが)カルボナーラになります」とは、「(この料理が)カルボナーラであるという認識が(当店では)成立しておりますが、いかがでしょうか」と客側に断定を委ねる表現だ、と私は考えている。

こう言われた場合、客は言葉で断定を表す必要はない(その手間を省くためにあえて疑問文にしないのだ)。客側が料理をそのまま受け取れば、この認識は成立したことになる。

だが、認識が成立しない場合だってある。

「カルボナーラになります」
「えっ、これがカルボナーラ? 思ってたのと違う!」

実はこんな時に強みも発揮してくれるのが、この表現だ。

客「えっ、これがカルボナーラ? 思ってたのと違う!」
店「いえ、違うとおっしゃられても、こちらが当店のカルボナーラになります」
客「しかし、こんなに唐辛子が載っているものかね」
店「ですから、これが当店のカルボナーラになりますので」
客「しかも、これなに? この刺身みたいなの」
店「当店自慢のなめろうになります」
客「カルボナーラになめろう!? いやいや、それはありえないです」
店「だから、これが当店のカルボナーラになります、といっておりますが」
客「ですが、普通のカルボナーラじゃないですよね」
店「うふふ、当店のカルボナーラになりますので」
客(しぶしぶ受け取る)「……うまっ」

相手に敬意を払いつつ、クレームにはめっぽう強い。実にたのもしい表現といえよう。