苦い文学

正しい日本語

間違っている、とよく言われる言葉づかいのひとつに「〜になります」というものがある。こんなような例だ。

レストランで、カルボナーラを持ってきたお店の人が
「カルボナーラになります」

これを槍玉に上げるのは、「正しい日本語」の使い手を自負している人々だ。たいていこんなことを主張する。


「なる」は「大人になる」とか「元気になる」とかのように変化を表す。だから、できあがったカルボナーラを持ってきて、これがカルボナーラに変化した、というのはおかしい。


それで、本当かどうかわからないが、おかしな難癖をつける人まで出てくる。

「カルボナーラになります」
「じゃあ、カルボナーラに早くなってみろ」

自分では気が利いていると思っているのだ。こういう連中はそもそも、「〜になります」は若い人が使う「バイト敬語」だと決めつけているので、「正しい日本語」の使い手としてはひとこと言う権利があると思っているのだ。

だがかりに、偉い人が「謝礼になります」と現金入りの封筒を渡してきたら、こういう連中ははたして同じような態度を取るものだろうか?

「日本語の正しさ」とやらも、地獄の沙汰と同じく金次第の可能性が高そうだ。