苦い文学

洞窟のたとえ

古代ギリシアの哲学者、プラトンはその主著の一つである『国家』で「洞窟のたとえ」と呼ばれるある情景について語っている。それはこんなものだ。


あなたは地下の洞窟で、奥の暗い壁だけを見ながら暮らしている。あなたの背後には壁があり、その壁のさらに向こうでは火が燃え盛っているのだ。

壁と火の間には通路がある。あなたには振り返って見ることのできないその通路を、人々が通り過ぎていく……ただ通り過ぎていくだけではない。この世の事物(馬とか、犬とか、人間とか、あるいは愛とか正義とかの像)を手に持ち、ちょうど人形芝居のように壁の上に掲げながら、次から次へと歩いていくのだ。

それらの像は炎の前を通るから、その影が、洞窟の奥の壁に投影されることになる。

そして、あなたはといえば、壁にうずくまり、洞窟の壁面だけを見ている。次々と現れ消えていく馬や犬、人間の影を見ては、あなたは思うのだ。「これこそ世界だ、これこそ本物だ」と……。


この「洞窟のたとえ」は、従来は、プラトンのイデア論との関係、つまりイデア世界と人間の感覚世界の違いを述べたものとして理解されてきた。

だが、現在では、最古の動画ストリーミング配信の記録だと考えられている。