苦い文学

逆国葬

我が国で国葬が行われているまさにそのとき、まったく反対の葬儀が行われていた。これを逆国葬と呼ぶ。

死んだのは、この国にさんざん害をなした人間だ。

人々に憎まれ、蔑まれ、罵られ、嘲笑されたあげく、死んだ人物だ。

そんな人間だから、葬儀には誰も来なかった。外国から要人も来なかったし、そもそも近しい人間も無視した。

張り切って弔辞を読む人もいなかった。神妙な顔つきで、献花を捧げる人もいなかった。国葬に反対する人々のデモも、足を止めたりしなかった。

一粒の涙も流れなかった。憎まれていたのだから当然だ。

いや、本当のことを言えば、何人かは来ていた。

まったくみすぼらしい連中で、国葬はおろか、普通の葬式にだって呼ばれないような手合いだ。だから、私はこれらの、ボロボロでフラフラでヨロヨロの人々は勘定に入れなかった。いないに等しい連中なのだ。

結局のところ、葬儀でもなんでもない。むしろ、処分とか、処理とか、片付けとか、整理整頓とか、調整とか、隔離とか、分別とか、名づけるべきかもしれない。

それをなんと呼ぶにせよ、国葬と比べるのはおこがましいかぎり。だが、なんとも理解に苦しむことがひとつある。

こっちのほうはたいてい、3日後にむくむくと生き返るのだ。