苦い文学

弔問外交

国葬にともなう弔問外交が始まった。

ニュースによれば、岸田首相は、今日26日は、アメリカのハリス副大統領など11人と会談したとのこと。

28日までの3日間で、40人ほどの海外の要人と個別に会談する予定だそうだ。

私は国葬はバカらしいと思っているが、どうせやるなら弔問外交はしっかりやってほしいと期待していた。

分断が深まりつつある世界だから、こんな機会でも、平和のため、日本のこれからのために積極的に活用してほしい、と藁をも掴む気持ちでいたのだ。

だが、次第に私はある懸念を覚えるようになった。その結果「弔問外交」の成功を願うどころか、むしろ失敗に終わってほしいと思うようになった。

だって、「弔問外交」がうまくいきすぎて、岸田首相がすっかり国葬好きになっちゃったら?

国葬には根拠となる法律がないから、その気になれば、猫が死んだってできるのだ(今回の国葬で証明済みだ)。

いや、国葬の会場内、献花終了までの5時間は、水しか飲めない過酷さだというではないか。集まる連中を考えたら、まさしく「浜の真砂は尽きるとも世に国葬の種は尽きまじ」という具合で……