苦い文学

大いなる喜び

自民党の議員の多くが信じている(少なくとも否定はしない)ことによれば、LGBTの自殺率が高いのは、社会のせいではなく、LGBTであること自体によるのだそうだ。

私はこれを聞いて思わず快哉を叫んだ。

この考えが意味するのはこうだ。LGBTの人の自殺は、社会の差別など関係ない。その人に原因があるのだ。

なんと明快な考えだろうか。自由と民主が混じり合うと、我が国ではこんな素敵ない考えが生まれるのだ。

だが、それだけではない。私たちはこの考えがさまざまな場面に適用可能なのを知って歓喜するのだ。

例えばいじめだ。いじめられた人が自殺するのは、いじめを生み出す社会など関係ない。その人に原因がある。こうきちゃう。(しかも、今日、「弱い子がいじめられるんだ」と麻生がまっすぐな口で語ったという)

次は性暴力に行ってみよう。レイプされるのは、性差別を許す社会など関係ない。その人に原因がある。いや、これはもう連中がかねてから言っていることに合致だ。

では、今流行りのウクライナなどどうだろうか。もちろんだ。侵攻されるのは、ウクライナに原因があるのだ。

まったくこれで私たちにも分かろうというものではないか。自民党の議員たちが、我が国がどこかの国に攻められた時に、どんなことを言い出すかが。どんなふうに国民を見殺しにするかが。

連中にとって、LGBTの人を含めた私たちの命など屁でもないということが、今、選挙の前に知ることができたのだから、大いに喜ばずにはいられないのだ。