ゴールデンウィークに柴又帝釈天に行った。境内でおみくじを引くと、とんでもないのが出た。以下のとおりだ。
第三十九凶
望用防心腹(のぞみのまとは、いつもはずれて)
家郷被火災(いえはやかれる、かざいはうしなう)
憂危三五度(みたびいつたび、かさなるうきめ)
由損断頭財(いのちとたのむ、たからもむなし)
あまりにもひどいので、寺に猛抗議しようかと思ったが、笠智衆に一喝されたら困るので、黙って家にもち帰った。
しかし、家でゆっくり読み返してみて思った。これは、まさしく難民の状況にほかならないのでは、と。
政府の加えるさまざまな弾圧と差別のために、自分の夢を諦めねばならないのが「のぞみのまとは、いつもはずれて」だ。
戦争地帯では「いえはやかれる、かざいはうしなう」のはモチのロンだ。
命からがら国を逃げ出したかと思えば、入管に収容されるときては、これこそズバリ「みたびいつたび、かさなるうきめ」。
そして、入管収容所の中では、貴重な時間や人間としての尊厳ばかりか、命そのものも失うことだってあるのだから「いのちとたのむ、たからもむなし」というのもムベなるかな、だ。
それにしても、なぜこんなおみくじが飛び出てきたのだろうか?
思い当たるのは、先日、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が、世界の難民の人数が1億人を超えたと発表したことだ。いまや世界は「難民化」の真っ最中なのだ。
こうした状況に、ついに神仏までも、おみくじを通じたアドボカシー活動をはじめたのではないか———これが私の推測である。