「地頭がいい」という意味で使われる「地頭(じあたま)」がいつから使われ始めたのかわからないが、辞書でひくと「かつらなどをかぶらないそのままの毛髪の頭」という意味しかないから、それほど古い言葉ではないのだろう。
「地頭がいい」というのは「生まれついての頭のよさ」という意味で使われているようだ。
それはすなわち「頭がいい」ということなのではないかと思うのだが、「地頭がいい」もかなり聞かれる。
(これはひとつには「頭がいい」が必ずしもほめ言葉ではないことにもよろう。つまり「あの人は頭がいい」は場合によっては「あの人はずる賢い」という意味にもなる。)
どうしてこの言い回しが普及しているのかについて、私なりに考えてみたのだが、「地頭がいい」という言葉を使う人は、(それを意識しているかしていないかは別として)ある「特定の見解」を共通して持っているのではないか、と思うようになった。
「地頭理論」というのはこの「特定の見解」について私が名づけた名称である。
この「地頭理論」がいかなるものかというと、それは次の3つの特色ある見解から成り立っている。
「地頭理論」の3大特徴
①地頭万能主義:地頭がよければなんでも可能という考え。
②教育無能主義:地頭のよさは教育とは関係なく、ゆえに教育は意味がないという考え。
③地頭至上主義:勉強とか研究とか学校でなされるすべてのことは、地頭の良さに劣るという考え。
この「地頭理論」はあるひとつの方向へとその信奉者を導いていくのだが、それについてはまた別に書きたい。