苦い文学

真の日本語教師

ある素晴らしい日本語教師のことをぜひ紹介させてください。

都内のとある日本語学校にいるその人は、熱意とやる気に溢れ、いつもクラスのこと、学生のことを考えているような教師だ。

近頃は、どこの教育の現場でもそうだが、ただ単に教えるのではなく、学生たちが自分で学び、自ら成長していくように促していくのが大事だとされている。これを「学習者の自律性を重視した教育」だとか、「自律した学習者の育成」だとかいうのだが、この教育手法をもっとも熱心に実践していたのが彼であった。

「教えてはいけないのだ」と彼はよく言ったものだった。「ただ学生の自律的な学びを手助けするだけで十分なのだ」と。

しかし、この教育法は実践するのはなかなか難しい。というのも、学生にしてみれば先生はあくまでも先生なのだ。「教わりたい」という気持ちをなくすのはそう簡単ではない。

この「教わりたい」という気持ち、これが、学生たちの自律学習を妨げていると彼は見てとった。これは結局、依存に過ぎないのだ。

では、学生の教師に対するこの依存心を消滅させるにはどうしたらよいか。

彼はたった一つの答えを見出した。それは、彼ほどの優れた、そして徹底した教育者にしてはじめて可能な方法だった。

彼は日本語をすべて忘れたのである。

これならば学生たちは教わるまい、そう考えたのだ。

無論のこと、学生たちは驚き、唖然とし、怒った。日本語教師が日本語を知らないなんて! 学生たちは乏しい日本語を駆使して非難し、猛烈に抗議したが、彼にとってはどこ吹く風だ。なにしろ日本語はまったくわからないのだから。

結局、学生たちは諦めて、自分たちで勉強を始めた。彼の捨て身の努力が実を結んだ瞬間だった。

そんな彼が、現在どうしているかといえば、日本語学校で日本語を学んでいる。