苦い文学

アツモノよ、懲りてナマスに吹かれよ

以前、ある日本語学校で、日本語の授業を担当したことがある。そのころ私は日本語を教えた経験はまったくなく、わからないことばかりだった。

私が担当していたのは、20人ぐらいの中級のクラスで、みんな中国人の学生だった。

あるとき、作文の授業をすることになった。私にとって初めての経験だ。私は学生たちに課題を提示し、作文を書かせ、回収した。

添削するのはもちろん私だ。日本語教師としてほとんど技量はなかったが、少なくとも、書き言葉の良し悪しはわかっていると思っていた。

そこで、私は時間をかけて丁寧に添削した。文法的な間違い、漢字の誤り、助詞の混乱、不自然な言い回し、不適切な接続詞などなど……たちまち作文用紙は真っ赤になった。

だが、日本語の作文の真髄を伝えるのに、手間を惜しんでいられようか。

そして、翌週、私は学生たちに赤字だらけの作文を返却したのであった。

それから、何が起こっただろうか? 学生たちから感謝の声があがっただろうか? 私の添削を押し頂いて「作文の書き方がわかりました! ありがとうございます!」とひれ伏したとでも?

それどころじゃない、かわいそうに学生たちはそれからまったく作文を書かなくなってしまった。

もう梃子でも動かない。うんともすんとも言わない。笛吹けど踊らずだ。

過ぎたるは及ばざるが如し、というやつで、それから私は、学生の作文には文字が書いてあればよい、ということにした。