毎週参加している読書会の課題の本を読んでいて、私はすっかり気分が塞いでしまった。
それは言語学の本で、こんな例文が出てくるのだ。
(1) 太郎が花子を殴った。
例文 (1) では、他動詞(つまり主語と目的語を必要とする動詞)の例として「殴る」が用いられている。その下に出てくるのはこんな例文だ。
(2) 太郎が花子を殴っている。
「ている」が継続をあらわしている。私はまるで、暴力を前に自分が見て見ぬふりをしているような気になる。さらに、こんな例文も出てくる。
(3) 太郎が花子を殴るかもしれない。
(4) 太郎が花子を殴るそうだ。
人々は暴力の予感に脅えているのだろうか。いや (4) では期待すらしているように聞こえる。言語学とはなんと残酷なのだろうか。
太郎と花子の関係が気になる。恋人、夫婦だろうか。いや、私の見るところ、親子なのだ。すると、以下のいくつかの例も考えられる。
(5) 太郎は花子に熱湯を浴びせる。
(6) 太郎は花子を寒空に放置する。
(7) 太郎は花子に食べ物を与えないはずだ。
そして、最後に次の例文を見てほしい。
(8) 花子は死んだ。
言語学がひとりのこどもの命を奪ったのだ……。これほどまでに、むごたらしいことがあろうか。
なお、「死ぬ」は自動詞である。