苦い文学

池袋の廃虚

2020年の冬、私は池袋のとあるビルの一室で日本語の授業を担当していた。

そのビルのいくつかのフロアを学校が借りて「校舎」としていたのだった。

当時、文科省は対面教育を推し進めるべし、という方針を打ち出していた。これに応じて、学校はハイブリッドで授業を行うことを決定した。

私は週に2回そのビルで、ハイブリッド授業を行うことになった。だが、なんというハイブリッドであったろうか。ハイブリッド成分がまったくなかったのだ。つまり、すべての留学生がオンラインを選んだのである。

しかも、その「校舎」は教室だけだったから、職員もいなかった。どうやら、その「校舎」には私以外には誰もいないようなのだった。つねにひとりぼっちだった。

たとえばこんな具合だ。

2限はそのビルの7階のA教室で授業だ。授業が終わると私は教室でひとり弁当を食べる。そして、同じ教室で3限が始まる。これが終わると私は9階のA教室に移動する。4限は授業がないので、広い教室でひとりのんびりする。そして5限の授業を行う。

この間、私は誰にも会うことはなかった。学生はもちろん、ほかの教員にも会わなかった。

ただ、別の校舎にいる教務課の職員が必ず見回りに来た。彼らは授業中に教室の外の薄暗い通路に現れて、ドアのガラス窓から覗く。そして、私がサボっていないことを確認すると去っていった。

こんなことを繰り返していると、私は世界がもうとっくに滅びてしまったような気がしてきた。

私はロボットで、人類が死に絶えた世界で昔のプログラムを遂行しつづけているのだ。廃虚のビルを上がったり下がったりして、すでに意味の失われた行為を繰り返す。変化といえば、ときどき物言わぬ監視ドローンがやってくるだけ。あっという間に数百年が経つ……。

だが、ある日、ドローンに追われた少女が教室に逃げ込んでくる。これがきっかけとなって、謎に満ちた世界をめぐる冒険の幕が開くのだ。